占いについての再考

占い好きのみなさんにとって何度もしつこいかもしれないが、1週間ほど前の朝の番組で島田秀平さんが番組ゲストの手相を見ておられた(2日連続で)。この方は最近テレビに引っ張りだこの手相占いの先生で、元お笑い芸人だそうだ。「KY線」などのように手相に独特の名称をつけ、最近では手相が誰にでも簡単にわかるオモチャ「テノヒライト」まで発売したのだそうだ。まるでドラえもんの道具に出てきそうな代物である。

島田秀平のテノヒライト スーパービジネスマン編

島田秀平のテノヒライト スーパービジネスマン編

この「テノヒライト」にはいろいろなバージョンがあって、上のスーパービジネスマン編はそのほんの一例だ。簡単に手相がわかり、しかもユニークさを忘れないこの商品、さぞかし売れていることだろう。

しかしここで一度、手相占いについて考えてもらいたい。手相占いがどこで生まれ、どのように発展を遂げてきたか詳しいことは知らない。おそらく手相に対する一定の法則のようなものを経験として積み重ねて、書物や口伝によって代々伝えられてきたのだろう。そんなことはどうでも良いのだが、この手相が未来の指針となり得るかどうか疑わしいと思わないだろうか。血液型は今現在の自分の性格や特性を表わし、手相は未来の自分を映す。血液という液体や手相というただの線が人間にどう影響するというのか。血液型は外科手術によって変わることがあり、手相は整形によって誰でも改変できるのだ。血液型が変わったら以前と比べ、がらりと性格が変わるとは考えづらいし、手相を整形し良い手相を持つことで人生がうまくいくとも限らない。でも血液型占いや手相占いが人間に影響を及ぼすかもしれないということを完全に否定することはできない。なぜならこれらを完全否定しようと思えば、血液型や手相が人間に影響を及ぼす可能性が全くのゼロであることを証明しなければならないからだ。この難解でつかみどころのない(血液型、手相と人間の性格、未来の行動との)関係は、脳とこころの関係に似ている。双方がどのようにリンクしているのかがよくわからないのだ。ゆえに占いを信じる人に「占いの馬鹿馬鹿しさ」を論理的に説明することは出来そうにない。

私が占いに対してどういう立場に立っているのか、ここではっきり述べておこう。答えは「中立」的だ。「ここまできて中立はないだろ」と思われた方には申し訳ないが、私も占いをおみくじのように参考にしているのだ。悪い結果が出たら今後こういうことに気をつけようという意識が働き、反対に良い結果が出たら前向きになれるし、暗い未来に対して少しは楽観的でいられるからだ。占いやおみくじは、くじ引きのようにドキドキ、わくわくさせてくれるゲームみたいなものかもしれない。占いはたまにするのが面白いのであって、上記のような「テノヒライト」を買おうとは私は思わないが、みなさんはどうだろうか。また占いの話題は個人的にあまり好きではない。

余談だが、アメリカ人にとって血液型は重要でなく、あまり相手に血液型を尋ねたりはしないそうである。そういえば大学の同級生に血液型不明という男子がいたが、あれはどうしてだろうか。