新ブログ

こんにちは。

お久しぶりです。

 

早速ですが、わたくし、新ブログを始めました。

 

SECURITY HUNTER

http://www.security-engineer.server-on.net/wordpress/

 

今現在は大阪市内のIT企業でネットワーク・エンジニアとして働いています。

立命館大学を卒業して早1年。

社会はそんなに甘くないですが、希望の職につけたことには満足しています。

 

今回はそんな私が一からWebサーバを構築し、お手製で作ったブログ。

よかったら読んでください。


<2013年9月19日修正>

新ブログは下記URLに変更になりました。

38thetaの雑感

http://38theta.com

言葉で伝えるということ

人生白か黒か、
やるか、やらないか、
やるか、やられるか、
グレーゾーンや中途半端という言葉は、
自分の辞書にはない。
と自信を持って言える自分でいたい。


涙が出るほど嬉しかったり、
身震いしたりした経験とは
ずっと御無沙汰。


中学、高校で陸上部のキャプテンを務め、
リレーで最高福井県2位という結果を残すことが出来た。
100mも10秒台で走った。


中学3年の県大会のとき、
1位をずっと目指して頑張ってきたけど、
結果福井県3位で全中出場を逃した。
あのときの悔し涙、
リレーメンバー、先生と一つになれた経験は
今でも忘れない。


けれど、
今後悔してることがある。
キャプテンとして部員に何かしてきただろうか、と。
熱い言葉と真っ直ぐな気持ちで、
部員みんなと向き合えていただろうか。
部員の心を動かすことができただろうか。


自分一人の行動だけでは、
周りは変わらない。
もっと周りを巻き込んで、
言葉で伝えることが大切。


来年4月から、
そんな社会人になれると信じて。。。

これからのエネルギー政策について考えてみよう

世間では脱原発だの、自然エネルギーだの、様々な議論がなされています。相対する意見を戦わせて、より良い方向に国の政策を導くことは大事なことです。その際、我々は国家の政策に関して他人事に思わず、自分なりの意見を持つことが大事です。世論に流されて、ただ何となく脱原発派かななどと発言しても、自分の頭で考えたことにはならず、ましてや自分の意見を持ったことにはなりません。人は安易なほうに流されがちですが、自分の人生設計をする上でも、様々な選択を迫られることになるでしょう(持ち家にするのか、賃貸にするのか、どのような金融商品に投資すべきかといったことなど)。そこで合理的な判断をし、より良い人生を歩んでいくためにも、普段から自分の意見を持って、しっかり自分の頭で考える訓練をしていきましょう。

余談ですが、あるテレビ番組で自分や家族が加入している生命保険に関して、難しいからどのような内容か知らずに加入している人が映し出されていました。そのようなことがないようにしたいですね。

さて本題に入りますが、皆さんは脱原発論者ですか?それとも原発推進論者ですか?その根拠はなんですか?私はこの二つの立場からは一歩離れた場所に立っています。最近まで原発を推進していくべきなのではないかと思っていたのですが、エネルギー政策について包括的に見る視点に欠けていました。「よし、今日から俺は原発推進論者だ。」と宣言して、理論的裏付けを得るために、その根拠を拾い集めていっても意味がないですよね。両者の意見を耳に入れつつ、総合的に政策の善し悪しを考える必要があります。

それでは、私は何故両者から一歩離れた立場に立っているのでしょうか。それは原発のコストと自然エネルギーのコストがどれくらいのものか明確にわかっていないからです。原発に関していえば、建設コスト、維持コスト、使用済み核燃料の処理費用など様々なコストがかかってきます。今回はそれに加えて福島第一原子力発電所の事故処理費用(原発の廃炉費用、近隣住民への賠償など)がかかってきます。一般的に、原子力の発電コストは石油、石炭、風力、太陽光などよりも安いと考えられていますが、事故対策費用や使用済み核燃料の処理費用などを含めて考えると、果たして一番安いエネルギーと言えるのでしょうか。まずは、世界中の専門家が原発のコストと、自然エネルギーのコストを明確に試算してほしいと思います。

それを踏まえて私は、

原発の総コスト<<<自然エネルギーの総コスト

となった段階で、脱原発に急速に柁を取るのは間違っていないと思います。しかし、風力や太陽光などの自然エネルギーは天候にどうしても左右されてしまう面があるので、エネルギーポートフォリオの観点からも、原子力をなくしてしまうのは理にかなっていないと思います。さらに、原発は昔に比べて格段と技術の進歩があり、かのビル・ゲイツも研究開発に資金を投じています。高速増殖炉といった夢の技術もあります。

ただの感情論だけで原発を廃止すべきだとか、中国など新規に50基の原発を新設する国もあるんだから日本も原発を推進していくべきだというのは、この際全く議論の土壌に上げる余地のないことだと思います。

しかし、ソフトバンクの孫社長のようにイニシアチブを取って、自然エネルギーを推進していくという気概を持った人は必要です。自然エネルギーが普及していくことによって、スケールメリットの効果が現れ、発電コストが減少していくと考えられるからです。誰かが先頭を切って走り始めないと、自然エネルギーが普及しようにも普及できないですから。

ここで一つ考えて欲しいのが、原発を廃炉するにも時間と莫大なコストがかかるということです。さらに、現段階では自然エネルギーは技術的にもまだ未熟です。それ故、今後一気に脱原発が進むのは無理があると考えるのが自然でしょう。原発が稼働せずとも、節電の要求なしに経済が回るのなら話が変わってくるかもしれませんが。

また将来的には、西日本と東日本で違う電源の周波数について統合することも視野に入れるべきだと思います。

最後に、原発推進論者の意見を参考にしたい方は、

金融日記

がおすすめです。データが豊富で、なるほどなと思わせられます。

高岡蒼甫さんのフジテレビ発言から感じたこと

皆さんもご存知かと思いますが、高岡蒼甫さん本人による一連の発言が物議を醸しています。
「フジテレビが韓国ドラマを放送しまくるのはけしからん。」
というのが彼の発言の趣旨だったと記憶しています。

さて、ツイッター上でのこの発言を受けて、高岡さんが所属する芸能事務所「スターダストプロモーション」は彼を解雇する旨を通知しました。
そして、高岡さんはブログで過去の辛い経験を語ります。自殺を図ったこともあるそうです。

Blogger Alliance | 404 Not Found

詳しくは上記に譲ります。

この一連の流れを受けてか知らず、台湾では「自国制作の番組が40%以下になってはならない。」という法案が近く通過するとの見通しです。

台湾国会で「韓流番組」規制法案が通過見込み | YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア) | 最上級を刺激する総合情報サイト | 1

(まだ信憑性に乏しいので、参考程度になさってください。ソースは「聯合ニュース」とのことです。)

ここでは、高岡さんがフジテレビを批判したことについて私が感じたことを書きます。

今回の一番の問題は、「芸能人が公然と自分の意見を表明することはどうなの?」ということに尽きる気がします。それも特定可能な企業名を挙げて批判したことです。芸能人(特に俳優、女優など)はイメージが大事な職業でもあるので、今回の騒動を受けて芸能プロダクションは、やむなく彼を解雇したのではないでしょうか。

ここで、テレビニュースのコメンテーターを例に挙げれば、公然と自分の意見を述べることが彼らの仕事であり、意見を持たない人は降板させられるのが常でしょう。しかし、同じテレビを仕事にしている人でも、こと芸能人になれば極端に叩かれる人が出てくるのです。(コメンテーターが叩かれないと言っているわけではありません。)これっておかしくないですか?しかも同じ芸能人でも、和田アキ子は堂々発言OKで、高岡蒼甫は今回の件が示したようにNGを突きつけられたのが今の現状ですよね。私は思うんです。芸能人でも言論の自由を多めに見てあげましょうよと。確かに芸能人の影響力は強く、彼らの発言を無防備に信じ込んでしまう輩がある一定数存在するのは難点ですが、色んな意見を持った人が居てもいいじゃないですか。彼らの自由な発言を押さえ込むのはナンセンスだと思うんです。高岡さんがこれまで公然と自由な意見を言えなかったことも、彼のストレスに起因していたと思います。

皆さんはどう思いますか?

街角で手を繋いでいるカップルを見てどう思うか?

もし自分に彼氏、彼女がいない場合、「羨ましいな」、もしくは「見苦しい、別れてしまえ」「アイツ、ぶりっ子だろ」と思うだろうか。それともいつもの光景だから、何とも思わないだろうか。

自分に彼氏、彼女がいる場合はどうだろう?上記のような光景に出くわして、彼氏、彼女のことを思い浮かべるだろうか。もしくは浮気相手、不倫相手がふと頭によぎるだろうか。

今までの私は、「男が人前で女と手を繋ぐなんてみっともない」と思っていた。男はこうあるべきだという固定概念が頭を支配していたわけだ。でもふと考えてみた。「なぜこのようなシチュエーションで男が女と手を繋ぐのはみっともないことなのか?」と。

よく頭を捻らせた結果、論理的な答えは残念ながら導き出せなかった。この場合当然べき論はロジカルではなく、答えにならない。つまり感情や理性で、上記のような光景に不快感を表していたことになる。

するとどうだろう?自分にどういう変化が起こったか?結果そういう男性を見る目が少なくとも批判的でなくなったのだ。勿論自分自身が同じ場面で、彼女と手を繋ぐかは別の話だけど、自分はこうあるべきだという軸を残しながらも、手を繋いでもいいかなという心の余裕、柔軟さも必要になってくるのかなと思った。

つまりここで何が言いたいのかというと、凝り固まった感情論を盾に、杓子定規で物事や状況を判断してはいけないということ。昔の人ほど「ピアスをするな」「髪を染めるな」と言うけれど、みっともないからという理由で相手に話を押し付けていないだろうか。ここで一度立ち止まって、もっと自由な次元で発想してみませんか。何もかも取っ払ってさ。頭を空っぽにして、「なぜ?」と自分自身に問いかけてみませんか。常識を疑ってみませんか。

今の日本に足りないものは、そういうことなんじゃないかな。

大企業、大企業って耳が痛い

日曜日に就活のモニタリング調査で大阪へ行ってきた。詳しいことは書けないけど、あることが頭に強く残っている。

この日のメンバーは俺以外の4人全員阪大生。3時間にも及ぶ長丁場のインタビューだったけど、時間を忘れるほど楽しく、気楽に参加できた。前日の憂鬱な気分は何処へやら。会場に偶然地元出身の女の子がいたことには、正直驚きと運命を感じずにはいられなかったけど。連絡先を交換できず仕舞いで残念。男って単純だなー。

インタビューでは、皆自分の考え、就活観を持っていて、なるほどなーとか、しっかりしてるなーって思うことがたくさんあったんだけど、一つ解せないことがあった。それは何だと思う?

答えは、「他人に認められたい→大企業、名の通った会社へ就職したい」ということなんだ。別に否定してるわけじゃないし、多くの日本の学生にも当てはまることだと思う。でも大企業を目指す一番の理由が、周りの人に認められたいからというのには少し残念に思った。あくまで自分の感覚なんだけど、エリートと言われている大学の学生ほど執拗なまでの大企業信者が多い気がする。他人に認められたい、ええかっこしーでいたいから会社の看板に取り敢えずすがっておこうという発想が、今の自分の感覚とズレるし、何かむず痒い。余談だけど、昨今の就職内定率の低さは、採用を抑えた大企業、有名企業に多くの学生が殺到したからであり、それを必要にメディア、社会が煽るのもどうかと思う。

だから何だって?自分も何が言いたいのかうまく言葉で表現できなくて、何度もタイプし直したけど、今考えが整理できた気がする。要はこういう良い子ちゃんが増えると、社会構造が保守的に向かうということかな。現時点の日本がまさにそうだと思う。だから日本はアメリカに比べてベンチャー企業が生まれにくくなっている。また一度大がつくほどの失敗をしたら容易に立ち直れないということも、ベンチャーの阻害要因になっている。勿論これら二つの要因だけでは説明できることではないので、あくまで参考程度に留めておいてくださいな。

そして「大企業=安定、終身雇用」が保証されていると信じ、大企業に就職する人も多いはず。でもそれは日本が成長していた一昔前の話。これからは公務員でさえも絶対安定じゃない時代が来る。現に国家公務員の給与が2割カットされる話も出てきた。

思うに、優秀な人材(またはそうでない人材も)が起業したり、彼らが中小、ベンチャーに回るような仕組み、教育制度、価値観の転換を、社会のそれぞれが担っていかなくてはならない。例えば優良な中小企業が日の目に浴びるようなプロモーションを大々的にやってみたり。そうしないと、中小、ベンチャーが育たず、大企業の死に体をただただ指をくわえて見ているだけの社会になってしまうような気がする。あ、そもそも偏差値、詰め込み教育を何とかしないと、自分で考える人材が育たないから、社会を根本から変えることが難しくなる。

とまあ、くどくどと社会全体の話に及んでしまったけれど、最後に一言。

まとめ

「これからは人と違うが吉」